北川和美と平壤放送愛聴会は何も関係がない

                            アジア放送研究会 会員 
                            元 平壤放送愛聴会 初代会長
                                長廻 政志

 最近、朝鮮民主主義人民共和国に亡命した日本人女性 北川和美の記事が、ラジオ・テレビ・新聞・雑誌で話題になっている。彼女は、「平壤放送日本語放送のリスナーで、ある平壤放送愛聴会役員とともに日朝友好に取り組んでいると平壤放送で流れた」という未確認情報まで飛び交い、内外に平壤放送愛聴会に対する誤った情報が一人歩きし、彼女があたかも愛聴会の関係者のような誤解が生じている。
 私は、このような誤報を平壤放送愛聴会の創始者として見逃す訳にはいかず、今回私も長年会員をつとめるアジア放送研究会のホームページ上をお借りして、当時愛聴会を運営していた者の一人として見解を述べたいと思う。

【平壤放送愛聴会の活動と略歴】
 平壤放送愛聴会は、1980年9月1日に結成された朝鮮中央放送(現在の朝鮮の声放送)日本語放送を中心としたリスナーの親睦団体である。途中、何度も休会と復活を繰り返した経緯はあるものの、会報「千里馬」を月1回、定期的に発行し、その発行回数も1996年6月に休会するまで、通巻112号もの会報を発行した。この15年以上も続いた海外日本語放送聴取者団体の歴史は、今も続いている玉山クラブ、玉山会、2位の北京放送を聞く会(現在は解散)に次いで、3番目に古い団体である。また他の平壤放送聴取者団体も数多く結成された歴史があるが、平壤放送愛聴会は、平壤放送の放送聴取団体としては、日本で最も古い団体であった。
 特に1980年代後半から、1990年代前半には、会員の訪朝が多くなり、朝鮮中央放送日本語放送でも訪朝感想インタビューに出演したり、商業雑誌に訪朝印象を執筆して発表。会報「千里馬」発行の他、訪朝報告会もにぎわいを見せた。
 リスナーの集いも頻繁に行い、広範な平壤放送リスナーを網羅し、最盛期には会員数50名を越えていた。
 しかし、会員が増えるにつれ、それぞれの会員の思いを統一団結することが、困難になった。これまで、1987年、89年、91年と3回訪朝してきた私も93年から南の韓国へも頻繁に行くようになっていた。主に伝統芸能農楽やサムルノリなどの習得や楽器購入だったが、心無い一部の会員や役員が、それをねじ曲げて共和国の朝鮮対外文化連絡協会や総聯中央国際局、朝鮮中央放送委員会に報告し、ついには、私が総聯中央国際局副局長からクレームを受けた。そのため1996年6月、私は愛聴会活動に誤解を受ける節があったことを認め、責任をとって辞任した。
 ところが、会報「千里馬」発行の殆どを私が行って来たため、それを引き継いで行える人材がいなくなり、残った役員も総辞職という形になり、平壤放送愛聴会は、結果的に休会という名の事実上の解散に至った。

【北川和美は、愛聴会とは関係ない】
 現在、マスコミで話題の亡命女性 北川和美という人物は、1980年から1996年まで活動していた平壤放送愛聴会の活動時期と、彼女の朝鮮民主主義人民共和国に関心をもって活動していた時期とは年代も異なり、愛聴会休会以後のことである。
 私(長廻)も北川和美というリスナーは、今回マスコミで話題になって初めて知った。
 愛聴会とは全く関係ない人物であることを愛聴会創始者としてここに断言する。
 仮に彼女が平壤放送リスナーで放送で名前が紹介されても、それは何の特別なことでもない。普通のBCLを楽しむリスナーだって平壤放送で紹介されるし、それは、韓国のKBSや中国国際放送(昔の北京放送)で紹介されるのと、さして変わらない。むしろ去年9.17以降、何でもかんでも「拉致」や「工作活動」と結びつけて「尾ひれ」がついて報道されているとしか思えない。
 私は、最後に日本のマスコミの皆さんが、良識をもって報道してくださることを切にお願いする次第である。
                                    2003年11月8日 




【アジア放送研究会より】
 朝鮮の声日本語放送の古い録音を調べたところ、北川和美という人物は、2002年からのリスナーであると番組の中で言及していることが確認できました。

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