不審船侵入事件を検証する

 1999年3月に起きたいわゆる不審船侵入事件は、いまでも謎に残された部
分が少なくない。工作船の目的は果たして何であったのか。工作船からの電波が
傍受されたが、それはどのようなものであったのか。事件に関連して、乱数放送
に関する記事も目立ったが、不正確なものが多かった。「北朝鮮の工作船が新潟
沖の領海を侵犯したさいには、長時間にわたっておびただしい量の暗号指令を流
した」(産経新聞4月22日)というのはオーバーである。「A−3放送が、2
月25日前後に異常に増えた」(『週刊現代』4月17日)とか「北朝鮮が、連
絡用無線の周波数を事件翌日の3月25日、突如変えた」(別冊宝島『自衛隊の
実力』)というのも事実に反する。


           A−3が異例な再放送

 「北朝鮮の工作員が日本に潜入する場合は、必ず国内のエージェント(協力者)
と連携する。そして、工作員とエージェントは、北朝鮮国内から流される暗号放
送に従って活動することになる、といわれている」(産経新聞1998年8月3
日) 事件前後の北朝鮮の暗号放送の動向を検証してみた。
 2隻の工作船が清津港を出航したのは3月18日から19日未明にかけて。
(読売新聞4月3日) 18日は木曜日で、新月であった。工作船の活動は、新月
の夜に行われることが多く、警備体制が薄くなる週末に実施される。(各紙報道)
 工作船が清津港から姿を消したという衛星情報が米軍から防衛庁に入ったのは
翌19日。海上自衛隊は日本海で警戒監視任務についた。(朝日新聞4月21日)
 防衛庁情報本部電波部は19日、日本海北部での交信電波量の増加など異常な
兆候を捕らえて情報収集活動を始めた。(共同通信3月26日) 同日、韓国国
家情報院から公安調査庁にも「近く、北朝鮮の清津にある海上連絡所から2隻の
工作船が発進する。重要なブツを日本に搬入させる計画がある」との情報が入っ
た。(麻生幾『文芸春秋』1999年5月号) 
 18日、19日の両日、A−3(4770/5870kHz)は奇妙な動きを
した。18日午後9時に流された7086号の電文が午後11時に再放送され
た。19日にも、午後9時に流された3831号電文が午後11時にも流され
た。これは異例なパターンである。通常、午後11時の再放送は前日同時刻の分
である。両日とも午後11時の放送は両電文だけであった。


         ボチョンボの音楽は作戦指令か

 20日午後7時と午後9時には暗号電文の放送はなく、ポチョンボ電子楽団の
音楽が4曲(「兵士の花束」「我が国は永遠なる領袖の国」「勝利についての思
い」「その名呼ぶ」)だけ流された。音楽だけが流されるのは特別珍しいことで
はないが、1977年に起きた宇出津事件をほうふつさせる動きではある。
 宇出津事件というのは、都内に住むガードマンの久米裕さん(当時52才)が同
年9月19日、石川県能登半島宇出津付近の海岸まで連れ出され、北朝鮮の工作
船で拉致された事件である。同事件が起きた日の午後9時、A−3(4770/
5870kHz)は「南山の青い松」という音楽を流した。それは「予定通り拉
致作戦を決行せよ」という日本にいる協力者への指令であった。(石高健次著
『これでもシラを切るのか北朝鮮』)宇出津は富山湾に面し、工作船からの電波
が探知された今回の現場に近い。ポチョンボ電子楽団の音楽は予定されていた作
戦に関する指示であった可能性がある。
 20日午後11時と21日午前零時にA−1モールス(4700kHz)が出
現。午後11時の電文は「VVV JVL JVL JVL DE BML BML BML QTC 317 QTC NR
317 18 22 0320 2300 272 803 BT」の後、22組の5桁の数字となった。通常コ
ールサインはJVGで、JVLが出る頻度は少ない。CQ系A−2モールス、A
−3は個人の工作員に向けて送られているのに対し、A−1モールスは性格が異
なるのではないかとも思われるが、確証はない。
 21日のA−3では、午後9時に流された2661号電文が午後11時にも再
放送されるという異例なパターンが繰り返された。同日午後11時に流されたA
−3の電文は同電文も含めて全部で4本。通常より多い。異例なパターンで流さ
れた3本の電文―7086号、3831号、2661号―は日本にいる協力者へ
のメッセージだった可能性がある。22日午後7時のA−3は両波とも送信トラ
ブルがあり、読み上げの途中から始まった。
 この間、CQ系A−2モールスでは、常連であるCQ113、CQ466のほ
か、CQ974、CQ707が出現。25、26日の午前1時半に現れたCQ2
95はその後、傍受できていない。1980年6月に起きた日本人拉致事件で
は、対外情報調査部に属する工作員はCQ系のA−2モールス(5535kH
z)で指令を受けていた。CQ974は5535kHzを使用している。季節に
よりCQ432、CQ863とコールサインを変えるのが特徴。CQ113やC
Q466に比べ、出現頻度は少なく、明確なパターンがない。


           短波で交信した不審電波

 21日午後10時、工作船からの電波が防衛庁や警察庁の傍受施設にキャッチ
された。傍受された電波とはどのようなものであったのか。3月26日の読売新
聞は次のように報じている。「そもそも防衛庁・自衛隊が不審船の存在を察知し
たのも、21日午後、日本海周辺で傍受された怪電波が端緒だ。傍受したのは日
本海近海を哨戒していた米軍機だった。米軍機がキャッチしたのはスクランブル
をかけた無線電波。不審船は逃走しながら無線を発信し続けた。E4Cがスクラ
ンブルを外して解析したところ、朝鮮語で『追いかけられている』などと一方的
に発信していた。しかし、北朝鮮国内からの応答はなかった」
 4月3日の同紙は次のような検証記事を載せている。「工作活動にトラブルが
あったためか、翌21日午後10時ごろから本国の朝鮮労働党作戦部に所属する
清津の対日工作機関『海上浸透基地』との無線交信を始めた。この不審電波をキ
ャッチしたのが、日本海に面する防衛庁の美保通信所などで、短波による交信に
は通話内容がわからないように秘話装置がかけられていた。発信源は特定できな
いが、おそらく能登半島付近の日本海ではとの一報が防衛庁情報本部に伝えられ
た。同じころ、警察庁の無線施設でも不審な電波を確認していた。受信した電波
は5つの数字を組み合わせて1文字とする暗号で、数字は北朝鮮の工作員が使う
乱数表と一致した」
 3月23日の朝日新聞は「受信された電波情報は5つの数字を組み合わせて1
文字とする暗号で、短波で発信されていた」 4月7日の同紙は「3月21日午
後10時、鳥取県の防衛庁美保通信所の象のオリと呼ばれる円形のアンテナが一
瞬、不審電波を傍受した。それは複数の数字を合わせた信号だった。別の施設で
も受信された。発信地は能登半島沖」 
 3月30日のTBSは次のように報じている。「北朝鮮の工作船と基地との交
信回数は、日本側が不審船と確認して呼びかけを始めた直後から増え続け、巡視
船が威嚇射撃をしたり対潜哨戒機が爆弾を投下した時に特に回数が多くなった。
この間の交信では工作船の方から『このまま、基地に戻ってもよいか』と指示を
仰いだり『基地側の迎撃体制はどうなっているのか』と追跡されている苦しさを
示すような問いかけも行われた。これに対して北朝鮮の基地からは『とにかく逃
げ切れ』『もし捕まったら自爆しろ』といった内容の指示が直接出されていた。
 8月30日になって、毎日新聞もTBSの報道を後追いした。防衛庁施設が
「日本船に立ち入り検査されたり、拿捕される事態になれば自爆せよ」という内
容の暗号無線を傍受していた、と報じた。
 一方、麻生の記事によれば次の通りである。「3月21日夜、その電波は、一
斉にキャッチされた。東京・市ヶ谷にある防衛庁情報本部電波部。さまざまな軍
事無線を傍受するコミント(通信情報収集)機関である。NEC製の探知システ
ムが、1本の短い短波無線を捉えた。無線方向を示す3本のベクトルが1本に交
わり、交信場所が即座に特定された。市ヶ谷から東南約2・4キロ。警視庁外事
課の“ヤマ”もほぼ同時に反応した。だが、その無線キャッチは“ヤマ”のチー
ムを驚かせた。これまでの経験から、恐らくSLAC(コンピュータ高速通信)
で交信すると考えていたからだ。短波無線とは、余りにも原始的ではないか! 
警察庁がある東京・霞ヶ関から、南へ約46キロ。神奈川県横須賀のアメリカ第
7艦隊司令部。三沢のNSA(国家安全保障局)基地から電波傍受の報告を受け
たのも同時刻だった。3つの機関が探知した短波無線。発信場所は大和堆の南、
新潟県沖だった。無線の特徴から、北朝鮮の工作船であることがほぼ断定され
た。だが問題は、清津を出た工作船が、明らかに日本に向かっていると見られる
ことだった。警察庁警備局は大騒ぎになった。北朝鮮工作船の電波を捉えたの
は、約6年ぶりだったからだ。外事課から、ソッチョク(即時直通電話)によっ
て新潟県警察本部に緊急通報が入った。〈KB参考情報、発令!〉 北朝鮮の工
作船が日本に向かっていることを通報するコールサインだった」


            “ヤマ”とは何か

 ところで、警察庁の電波傍受機関“ヤマ”とはどういうものなのか。その存在
を始めて報じたのは『週刊文春』1997年5月1日号である。その要旨は次の
通り。
 「警察庁のごく目立たないセクションの一つに、通称″ヤマ″と呼ばれる長官
官房傘下の極秘情報機関があった。戦後すぐに設立されたこの機関の正式名称を
聞いても、秘密のセクションだとは誰も気がつかない、アッサリしたものであ
る。だが、地味な肩書きのキャップの下には400名を超える要員がいた。″ヤ
マ″の存在を知っている者は、日本の警察機構の中でも数少ない。警察庁キャリ
アは、警察庁の課長クラスに昇任して初めて″ヤマ″の存在を知り、その想像を
超える能力に驚嘆することになる。この機関の主な任務は、日本に到達する様々
な諜報電波の傍受である。横田めぐみさんが行方不明になった頃(1977年1
1月)″ヤマ″が狙っていたのは、北朝鮮工作船の動きと、日本に潜入している
北朝鮮諜報員に対して平壌から定期的に流されるA3放送と呼ばれる暗号放送の解
読だった。横田めぐみさんが忽然と消えた数日前、″ヤマ″は、北朝鮮東岸にあ
る清津の海上連絡所から、一隻の特殊工作母船が発進するのをキャッチした。当
時、北朝鮮には、工作船基地が3カ所(ほかに南浦、元山)あり、朝鮮労働党直
属の工作機関『連絡部』が運営していた。母船は基地とメリット交換を行った
後、無線封鎖を行った。母船は、新潟の30キロ沖まで来て、再び停止した。小
型特殊工作船が吐き出された。警察庁の極秘機関″ヤマ″の全国に数カ所ある巨
大アンテナは、これら母船や小型特殊工作船の動きを、すべてモニターしてい
た。北朝鮮の工作船は、短波の周波数帯を使っていたので、内容を捉えることは
容易だった。“ヤマ“が北朝鮮の工作船が日本に向かっていることをキャッチす
れば、直ちに目標とされている県警本部にKB(コリアン・ボート)情報が発令
される」
 東京都日野市三沢3−20ー11。市販の地図には「警察庁第二無線通信所」
と表示されている。ちなみに「第一無線通信所」は東京・中野のICPO送信所
である。小高い丘の上に立つ同通信所では、24時間体制で北朝鮮の暗号通信の
解析、平壌放送、朝鮮中央放送の傍受を行っている。職員は通信の技官である。
チーフは警備局外事課の外事技術調査官。
 頂上東側に短波用のダブレット・アンテナが一基、南北に張ってある。西側の
中腹にも、短波用の大きなワイヤー・アンテナが一基、やはり南北方向に張って
ある。都内には、小平市にも極秘の場所に傍受施設がある。外事通信所はこの
他、千歳、仙台、本荘、館山、守山、高浜、枚方、信太山、白浜、丹後、出雲、
丸亀、小郡、出水、沖縄にあるといわれる。
 朝日(4月7日)によると、船からの電波発信は異例だとしている。3月30日
の共同通信は、大韓航空機爆破事件の金賢姫・元工作員の教育係りとされる元ホ
ステスが北朝鮮に拉致されたとみられる1978年7月初めにも、新潟県・佐渡
島周辺で同国の工作船のものとみられる電波を政府関係の電波情報施設が傍受し
ていた、と報じた。この施設は、“ヤマ”を指すものとみられる。
 どの報道も傍受された電波のモードには触れていない。麻生の記事からは、モ
ールスであったと推測される。一方、秘話装置がかけられていたという読売の記
事からすると、音声ということになる。しかし、常識的には、やはりモールスだ
ったのではないか。
 今回の事件では、異例な再放送パターンを示した4770/5870kHzの
A−3が事件に関与したのはほぼ間違いないのではないか。工作船がいまだ短波
を使用していることも明らかになり、どのような波を使用しているのか興味が持
たれるところだ。

 
(注:本稿はアジア放送研究会の一研究員の見解であり、当会の見解を代表する
ものではありません)


      不審船侵入事件時における暗号無線動向

 18日(木)                             
 0000/0030  A−2  CQ974              
 0000       A−3  7757号電文 19組        
 2100      ★A−3  7086号電文 16組        
                 6544号電文 20組        
 2300/2330  A−2  CQ113              
 2300      ★A−3  7086号電文 16組(再送)    
☆夜          2隻の工作船、清津港から出港。       

☆19日(金)     防衛庁情報本部電波部、北朝鮮近海を発信源とする通
信量の増大を探知。情報収集活動を強化。
 0000       A−3  3995号電文 23組        
 2100      ★A−3  3831号電文 13組        
            A−3   849号電文 25組        
 2300      ★A−3  3831号電文 13組(再送)    

 20日(土)                             
 0000       A−3  5215号電文 41組        
                 3995号電文 23組(再送)    
 1900      ★A−3  ポチョンボ電子楽団の音楽 「兵士の花束」
「我が国は永遠なる領袖の国」「勝利についての思い」「その名呼ぶ」 
 2100      ★A−3  ポチョンボ電子楽団の音楽(再送)   
 2300       A−1  NR317 22組          
            A−3  8848号電文 66組        
 2300/2330  A−2  CQ113              

 21日(日)
 0000        A−1
            A−3  5355号電文 16組        
                 5215号電文 41組        
 0000/0030  A−2  CQ466              
 0130       A−2  CQ707              
 2100      ★A−3  2661号電文 15組        
☆2200       不審船からの暗号無線が傍受される。
 2300       A−3  5225号電文 28組        
                 2823号電文 43組        
           ★     2661号電文 15組(再送)    
                 8848号電文 66組(再送)    
 2300/2330  A−2  CQ113/CQ974        

 22日(月)
 0000       A−3  4890号電文 27組        
                 5355号電文 16組(再送)    
 0100/0130  A−2  CQ113              
☆1500       海上自衛隊の「みょうこう」「はるな」「あぶくま」、
予定を1日繰り上げ、舞鶴基地を出港。
 1900       A−3  送信トラブル             
 2300       A−3  5225号電文 28組(再送)    
                 2823号電文 43組(再送)    
 2300/2330  A−2  CQ113              

 23日(火)
 0000       A−3  4890号電文 27組(再送)    
 0000/0030  A−2  CQ974              
 0100/0130  A−2  CQ113              
☆0642       P3C哨戒機、”第1大西丸”を佐渡沖で発見。  
☆0925       P3C哨戒機、”第2大和丸”を能登半島沖で発見。
 1530       A−2  CQ466              
☆2000       巡視艇「ちくぜん」、”第2大和丸”に威嚇射撃。
☆2031       巡視艇「なおつき」、”第1大西丸”に威嚇射撃。
 2300/2330  A−2  CQ113.817 34組      

 24日(水)
 0000/0030  A−2  CQ974.177 22組      
 0100/0130  A−2  CQ113              
☆0119       護衛艦「みょうこう」、”第2大和丸”に警告射撃。
☆0132       護衛艦」「はるな」、”第1大西丸”に警告射撃
☆           北朝鮮基地局、「もし捕まったら自爆せよ」と無線指令
☆0320       ”第2大和丸”、防空識別圏を越える。      
☆0606       ”第1大西丸”、防空識別圏を越える。      
☆0800       北朝鮮のミグ21戦闘機4機、発進       
 1900       ワンジェサン軽音楽団の音楽           
 2300       A−3  5645号電文 33組        

 25日(木)
 0130       A−2  CQ295.117 27組      
☆0600       2隻の工作船、清津港に帰港。       
 2300       A−3  4141号電文 17組        

 26日(金)
 0130       A−2  CQ295.117 27組(再送)  
 2300       A−3  4141号電文 17組(再送)    

 27日(土)
 0000       A−3  1188号電文 29組        
 1900       A−3  4004号電文 12組 音楽     
 2100       A−3  4004号電文 12組 音楽(再送) 
 2300       A−3  5072号電文 25組        

 28日(日)
 0000       A−3  1188号電文 29組(再送)    
 0130       A−2  CQ707.1188  22組    
 2130       A−3  要請音楽               
 2300       A−3  5072号電文 25組(再送)    

 29日(月)
 0000       A−3   951号電文 33組        
 2300       A−3  3104号電文 18組        

 30日(火)
 0000       A−3   951号電文 33組(再送)    
 2300            3104号電文 18組(再送)    
 31日(水)
 0200       A−1
(注 ★は事件との関連が推測される通信)





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(C)2000 アジア放送研究会
2000.3.24更新

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